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eドリル トップページ > That's GAKU(2012年5月)

2012年5月

日本語の中でも異端児!?カタカナ語の正体をあばけ!指令2広ガリヲ調査セヨ!

1950年代に入り和製英語が登場

カタカナ語が一気に広がり始めたのは、1945年に第二次世界大戦が終わってからだ。日本では英語教育がさかんになり、それとともに英語をそのままカタカナにして使用する機会が増えた。1950年代に入ると、日本人が英語を独自に組み合わせたり、本来とは異なる意味で使用したりする「和製英語」が登場し、カタカナ語はさらに増え始める。挙げればキリがないけど、たとえば、「ガソリンスタンド」「サラリーマン」などがそれにあたる。また、「ワイシャツ」は襟がY字型だからついた名前と思いがちだが、本当は「white shirt(白いシャツ)」の発音がそう聞こえたので名づけられた。「ホチキス」も日本で生まれた名称で、発明者のHotchkissさんがその由来。英語では「ステープラー」という。ワイシャツもホチキスも英語圏では通じないので注意しよう。

カタカナ語の増加を受け入れた日本人

英語以外にも、カタカナ語になった言葉はたくさんある。「アルバイト」は「労働」という意味のドイツ語だし、「アンケート」はフランス語。また、イタリアの麺類を日本では「スパゲッティ」という場合が多いけど、本来は麺類の中でも比較的細い麺だけをこう呼ぶ。複雑な成り立ちなのは「ジャンボ」。もとはアフリカのスワヒリ語で「こんにちは」あるいは「酋長」という意味だけど、イギリスの人気者だった大きな象に飼育係がこの名前をつけ、「巨大」という意味の英語が誕生。それが日本に輸入されて、「ビッグ」よりさらに大きいイメージをもつ言葉になった。このように、外来語はどんどんカタカナ語になり、1960〜70年代には「外来語の乱用」「外来語の氾濫」と、その多さに警鐘を鳴らされるようになった。実際、1889年の国語辞典で外来語は1.4パーセントだったのに対し、1972年には7.8パーセントと約80年間で5倍以上にも増えている。そんな状況に対し、カタカナ語の氾濫によって日本語が乱れるとして、外来語の使用を規制すべきだという意見も出るようになった。しかし、当時の世論調査では「あまり好ましくはないが、使用するのは特に問題ない」という考えの人が多く、大きな議論には発展しなかったんだ。

日本語にすると逆にわかりにくい!?

ところが、1980年代に入り本格的な国際化が進み始めると、状況が変わってくる。専門的な外来語が、そのままの意味で広く一般の人に向けて使用されるようになり、意味が通じないという問題が発生したんだ。たとえば、現在は当たり前に使われる「パフォーマンス」「エントリー」なども当時は聞き慣れない言葉だった。1990年代になるとその流れはさらに加速し、ビジネス用語、コンピュータ用語などがあふれかえるようになった。1997年の調査では、新聞やテレビに出てくる外来語の意味がわからなくて困るという人が、高齢者を中心になんと約9割にも及んでいる。そこで、当時の小泉純一郎厚生大臣は「カタカナ語追放運動」を開始し、意味不明なカタカナ語の言い換えを提案した。たとえば、「ニーズ」を「必要性」、「イベント」を「催し」といった具合だ。しかし、これに同調する人はほとんどなく、カタカナ語の増加を食い止めることはできなかったんだ。そして2000年代。今度は国立国語研究所に「外来語委員会」が設けられ、日本語への言い換え例が作られた。だが、またしても、かえってわかりにくいという意見が大半を占めた。たとえば「コンテンツ」は「情報内容」、「ミクロ」は「微視的」といった感じで、確かにわかりにくいよね。結局、多くの人は増え続けるカタカナ語をそのまま受け入れて使用しているというのが現状だ。世界で新しい技術や考え方が次々に誕生し、言い換えが追いつかないこと、日本で誕生した技術などでも、主に英語で発信しないと世界に広がらないといった、現代ならではの状況によるものだろう。次回は、いろいろなカタカナ語を見ながら、利点と欠点、適切な使い方などを考えていくよ。

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