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eドリル トップページ > That's GAKU(2012年1月)

2012年1月

日本語の中でも異端児!?カタカナ語の正体をあばけ!指令1歴史ヲ調査セヨ!

漢文を補うためにカタカナが誕生

そもそもカタカナが誕生したのは平安時代。それまで文字は漢字しかなく、文章はすべて漢文で書かれていた。漢字は画数が多いから、文章を書いたり、訂正を加えたりするのもたいへんだ。しかも、身分の高い一部の人しか読み書きできないという欠点があった。そこで漢字の一部分を簡易な文字で表そうという発想が生まれ、「阿」を「ア」にするなど、日本語の五十音に合わせたカタカナが発明されたんだ。また、ほぼ同時期に「安」の形を崩して「あ」にするなど、ひらがなも誕生。カタカナは漢文を読みやすく補うために、ひらがなは和歌や日記などの文字として使用されるようになった。その後、16世紀半ばから17世紀にポルトガル人やオランダ人が来日するようになり、日本にはない外国の言葉=外来語も使われるようになったんだけど、タバコ(ポルトガル語)は「煙草」、ガラス(オランダ語)は「硝子」というように、すべて漢字の当て字をつくって記していたため、カタカナの役割に大きな変化はなかったんだ。

外来語が増えて活躍の場が広がる

しかし、幕末から明治時代にかけて欧米諸国との本格的な交流が始まると、英語、フランス語、ロシア語などの外来語が大量に流入した。これでは漢字を当てるだけでは追いつかないうえ、日本の制度や文化にはない言葉も多くなってきた。そこで考えられたのが新たな日本語をつくり、外来語を当てはめるという方法だ。たとえば、当時、日本語には「社会」という言葉はなかったが、英語のsocietyを「社会」と翻訳し、一般的な言葉にしたのは福沢諭吉だ。また「共和国」という言葉もイギリス、フランス、ドイツなどで使用されていたラテン語起源の言葉を日本語化したものだ。これらの漢字表記は中国へも輸出され、現在の国名「中華人民共和国」にも取りこまれている。しかし、それでも漢字による当て字や翻訳だけでは限界がある。そこで、外来語はカタカナで記すという現在の形ができ、それが定着していったんだ。1868年に明治政府が発表した「五箇条の御誓文」では「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」など、漢字カナ交じり文が採用され、法律や政治的な文書にもカタカナを使用することで、一般人の理解を得やすくしたんだ。

外来語が増えて活躍の場が広がる

一時的に禁止された時代もあった

このようにして、カタカナ語は明治時代から一般的になっていったのだけれど、一時的にあまり使えなくなった時期がある。1941(昭和16)年に始まった太平洋戦争でアメリカやイギリスと戦ったことから、外来語を「敵性語=敵国の言葉」と見なし、使用すべきではないという風潮が広がったためだ。その影響からカタカナ語は日本語に置きかえられることが多くなった。たとえば、すでに野球は人気のスポーツだったが、事実上アメリカの国技だから用語は英語だらけだ。それを使わないようにしたため、「ストライク」は「よし」、「ボール」は「だめ」といった、かなり無茶な日本語が当てられた。「ライオン」を「獅子」と呼びはじめたのもこのときからだし、ほかには「カンガルー」を「袋鼠」なんて呼んでいる。食べ物では「コロッケ」が「油揚げ肉まんじゅう」、「カレーライス」が「辛味入り汁かけ飯」と、いったい何の料理かわからないような名前に変わってしまった。楽器はもっとすごくて、「サックス」を「金属製曲がり尺八」なんて呼んでいる。また、現在も音楽で使用されている「ハ長調」などの用語は、この時期に「ドレミファソラシド」(イタリア語)を「ハニホヘトイロハ」と置きかえたためにできたものだ。もっとも、ナット、スパナなど の工具、シャツ、チョッキといった衣類などは適切な言葉が見つからずにそのまま使用されていた。それだけ、カタカナ語は日常生活に浸透していたわけだね。そして、1945年に戦争が終わると、カタカナ語は復活。欧米の文化・習慣が一般的になるにつれて、その数は急速に増えていく。次回はその広がりを見ていこう。

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