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eドリル トップページ > That's GAKU(2011年1月)

2011年1月

どうして決まった?この数字 日常の単位とサイズのルーツは? 

江戸時代の紙のサイズは身分によって決められていた

美濃判

現在、私たちが標準サイズの用紙として使っているA判やB判の紙は、タテとヨコの比率が1:√2の長方形になっている。この比率は、正方形の1辺と対角線の長さの比に等しく、黄金比に近い比率だ。黄金比は、タテとヨコの長さの比がもっとも均斉のとれた美しい比率とされており、古今東西の芸術家も作品の中にその比率を織込んでいる。ところで、現在の用紙が普及する以前のこと。江戸時代に普及していた紙の寸法は8寸×1尺1寸(24.2×33.3cm)だった。だが、このサイズは一般庶民が使う紙で、大名などの権力者は格式や権力を誇示するため、ひとまわり大きな紙を使っていた。たとえば、加賀百万石の前田家が使用していた紙は8寸2分×1尺2寸、仙台の伊達家の紙は8寸3分×1尺2寸3分。徳川御三家ともなるとさらに大きくなって9寸×1尺3寸。御三家の紙は「美濃判」と呼よばれていた。このように、紙の寸法が身分や位によって決められており、もし庶民が大名家の紙を使おうものなら厳罰に処せられたという。そのためか、明治維新を迎むかえ、そうした制約がなくなると、庶民は競きそって美濃判を使いはじめ、その後しばらくはこのサイズの紙が基本となっていた。ところが事務書類などを揃そろえようとすると、流通している紙のサイズが微妙に違ちがっていたため、大正12年に紙の大きさを統一しようという動きが起きた。諸外国の紙の規格を調べ、日本が採用したのがドイツ方式だった。これが現在のA判サイズだ。一方のB判は江戸時代の美濃判を祖とするものだ。紙ひとつにもさまざまな歴史があるんだね。※1尺=約30.3cm、1寸=約3.03cm、1分=約0.3cm

 

和食器は5客が1セット、洋食器は6客で1セットのわけ

和食器は1客が1セット、洋食器は6客で1セットのわけ

グラスやコーヒーカップなどの洋食器は1セット6客か12客、一方、お茶碗などの和食器は5客が1セットとして売られている。考えてみれば不思議な話。いったいどういうわけだろう。日本にガラス製品が伝来したのは1549年、キリスト教伝来のときとされる。当時、ヨーロッパは12進法が主流で、このため1セット1ダースか、手頃な1セット半ダースが流通していた。それに対し、和食器のほうは中国の「陰陽五行説」がベースという説が有力。陰陽五行説とは、すべてのものは陰と陽によって生じ、五行(水、木、火、金、土)のうち木と火は陽、金と水は陰に属し、土はその中間にあるという考え方で、現在の日本の風習や習慣にも影響している。もともと陶器が中国から伝来したことを考えれば、陰陽五行説の5が和食器の1セット5客につながったとしてもおかしくない。

原稿用紙の「400字詰め」は誰が決めた?

作文に使う原稿用紙といえば400字詰めが一般的。最近は、作家の人たちはパソコンで原稿を書くのが主流だが、手書きで原稿用紙を使うとなるとやはり400字詰めとなる。原稿用紙の標準形ともいえる400字詰めはいつ頃、誰が考案したのだろう。明治の文豪が書いた生の原稿を調べると定型はなく、それぞれが好きな原稿用紙を使っている。二葉亭四迷の『平凡』という作品は19字×10行、夏目漱石の『学生時代』は16字×14行で書かれており、森鴎外は525字詰めの原稿用紙を使用という具合。1枚の原稿用紙の字詰めや行数がバラバラでは出版社が面倒だということで、作家の意見を聞きながらできあがったのが400字詰め原稿用紙だったという。だが、もう1つ別の説がある。漱石の門下生であった和辻哲郎が20字×20行の原稿用紙を考案したというのだ。和辻は古典の『枕草子』を研究しているうちに、日本の文字は1枚の紙に20字×20行の字詰めで書かれているのが美しいと考えた。これに共鳴した紙の業界が20字×20行の原稿用紙をつくり、それが広まったのだという。

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